洋画
難波田 龍起
Tatsuoki Nambata
1905年 − 1997年
奥深い精神性をたたえた独自の抽象画を確立。
略歴
History
1905 | 北海道に生まれる |
1906 | 父の陸軍退役にともない一家で上京 |
1913 | 本郷区駒込林町に転居。高村光太郎のアトリエの裏隣に住む |
1923 | 早稲田第一高等学院に入学 |
在学中、会津八一らに英語を学ぶ | |
9月、関東大震災直後の夜警当番で高村光太郎の面識を得る | |
1927 | 前年に入学した早稲田大学経済学部中退 |
太平洋画会研究所、本郷絵画研究所に学ぶ | |
1928 | 川島理一郎主催の金曜会に入る |
1929 | 国画会展初入選 |
1934 | 福島コレクション展でルオーやピカソの作品に興味を抱く |
松本竣介らと交流する | |
1937 | 自由美術家協会結成に会友として参加。翌年会員となり毎年出品する(~’59) |
1941 | 次男、史男が生まれる |
1974 | 次男、史男がフェリーから転落死(享年35歳) |
1987 | 東京国立近代美術館にて「今日の作家 難波田龍起展」開催 |
毎日芸術賞 | |
1996 | 文化功労者顕彰 |
1997 | 肺炎のため92歳で死去 |