洋画
藤田 嗣治
Tsuguharu Fujita

1886年 ― 1968年
26歳で渡仏し、ピカソ、キスリング、モディリアーニなどと交遊し、キュビズムやシュールレアリズムなどといった新しい20世紀の絵画に大きな衝撃を受ける。滑らかな白い下地に墨の細い線で裸婦像を描き、「乳白色の肌」と呼ばれて絶賛され、パリ派の代表的な画家となった。フランス国籍を取得し、72歳の時にカトリックの洗礼を受け、レオナール・フジタとなった。
代表作
『秋田の行事』1937/秋田県立近代美術館
略歴
History
1886年 | 東京に生まれる。 |
1910年 | 東京美術学校卒業。黒田清輝に教えを受けたが、作風と教えに反感を持つ。 |
1913年 | 渡仏し、モンパルナスに居を構える。 |
1919年 | サロン・ドートンヌの会員に推挙され、エコールドパリの画家として脚光を浴びる。 |
1931年 | 恋人を伴って南北アメリカを旅し、2年後に日本へ帰国。 |
1935年 | 25歳年下の君代と出会い、五度目の結婚をし生涯連れ添った。 |
1948年 | 従軍画家として小磯良平らと中国に渡り戦争画を描く。 その後パリへ戻ったが第二次世界大戦の影響をうけ日本に帰国する。 |
1949年 | 戦争画家の戦犯問題を問う日本に嫌気を覚え、渡仏の許可が下りると「絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」との言葉を残してパリへ向かい、日本には戻らなかった。 |
1957年 | フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を贈られる。 |
1959年 | カトリックの洗礼を受けて、レオナール・フジタと名乗った。 |
ベルギー王立アカデミー会員となる。 | |
1968年 | 81歳で死去。 |