洋画
国吉 康雄
Yasuo Kuniyoshi
1889年-1953年
アメリカを代表する作家の一人として活躍、高く評価された。初期は幻想的な作品を描き、2度の渡欧とジュール・パスキンらの影響を受けモデルを使った人物画を描くようになる。サーカスの少女を好んで描いた。日米戦争の時代を乗り越え、戦後にはホイットニー美術館で現存画家として初の回顧展が開催された。制作以外にも、母校アート・ステューデンツ・リーグ教授やアメリカ美術組合初代会長、アメリカ美術家会議副議長など活躍した。
代表作
『誰かが私のポスターを破った』1943/個人蔵
略歴
History
1889年 | 岡山県に生まれる。 |
1906年 | 渡米。 |
1914年 | インディペンデント・スクール・オブ・アーツ(ニューヨーク)入学。 |
1916年 | アート・スチューデンツ・リーグ(ニューヨーク)入学。ケネス・ヘイズ・ミラーに学ぶ。 |
1917年 | 独立美術家協会展出品。前衛的な画家の集まるペンギン・クラブに入る。 |
1922年 | ニューヨークのダニエル画廊で個展開催、画廊閉鎖まで8回個展を開く。 |
1925年 | 渡欧、ジュール・パスキンと交流をもつ。(1928年に2度目の渡欧) |
1929年 | ニューヨーク近代美術館の「19人の現代アメリカ画家展」に選ばれる。 |
1933年 | アート・ステューデンツ・リーグ教授となる。美術家団体アン・アメリカン・グループの委員長となる。 |
1936年 | アメリカ美術家会議に参加。 |
1944年 | カーネギー・インスティチュート全米絵画展で1等賞受賞。 |
1947年 | 美術家組合を設立し、会長となる。(1951年まで) |
1948年 | ホイットニー美術館で現存画家初の回顧展開催。ルック誌が「現代アメリカの10人の画家に選出。 |
1952年 | ヴィネチア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれる。 |
1953年 | ニューヨークにて、63歳で死去。 |