洋画
梅原 龍三郎
Ryuzaburo Umehara

1888年-1986年
浅井忠の聖護院洋画研究所で一緒になり、良きライバルとなる安井曽太郎とともに洋画界の頂点を極め、安井・梅原時代と称された。フランスに渡り、ルノワールの絵に感動、直接指導を受けた。日本の伝統的な技法を取り入れつつ、明快な色彩と力強く大胆な筆致で奔放自在に描き、日本の洋画を確立した。1939年から頻繁に北京を訪れ、秀作を多く生んだ。1957年には様々な役職を辞し、渡欧を繰り返して自由な立場で制作、80歳を過ぎても渡欧を続けた。
代表作
『桜島』1935/東京国立近代美術館
『紫禁城』1940/大原美術館
『北京秋天』1942/東京国立近代美術館
略歴
History
1888年 | 京都に生まれる。 |
1903年 | 学校を中退し、伊藤快彦の鍾美会で学んだ後、浅井忠の聖護院洋画研究所(現関西美術院)に入った。 |
1908年 | 渡仏、パリのアカデミー・ジュリアンに入学。ルノワールの絵に感激し、翌年本人から指導を受ける。 |
1913年 | 帰国し、個展を開催。 |
1914年 | 二科会の設立に参加。 |
1922年 | 春陽会の設立に参加。(数年後に退会) |
1925年 | 国画制作協会に合流。(3年後に協会が解散、洋画部は国画会となる) |
1935年 | 帝国美術院会員となる。 |
1944年 | 帝国技芸員となる。東京美術学校教授となる。 |
1952年 | 東京美術学校教授を辞し、渡欧、ヴェネツィア・ビエンナーレの国際審査員をつとめる。 |
文化勲章受章。 | |
1986年 | 97歳で死去。 |