日本画

菱田 春草

Shunso Hishida

1874年 − 1911年
横山大観らと共に日本美術院の創設にも参加。多くの活躍が期待されるも36歳の若さで死去した。

代表作
『賢首菩薩』1907/東京国立近代美術館(重要文化財)
『落葉』1909/永青文庫所-熊本県立美術館寄託(重要文化財)
『黒き猫』1910/永青文庫所-熊本県立美術館寄託(重要文化財)

略歴

History

1874 長野県に生まれる
1890 東京美術学校に入学
横山大観、下村観山の一学年後輩で、橋本雅邦に師事
1898 同校より排斥された岡倉天心、師事している大観、観山らと共に美校を去る
日本美術院の創設に参加
1900 従来の日本画に欠かせなかった線描を消し去る画風になる。西洋画にみられる画風に取り組むも、「朦朧体」と揶揄され避難を浴びる。第一回文展に出品するも、その手法の革新性に審査員には理解されることはなかった
1903 大観と共にインドへ渡航
1904 天心、大観と共にアメリカ・ヨーロッパを回り翌年帰国
1906 日本美術院の五浦に移住し大観、観山らと共に制作に励んだ
眼病を患う
1911 治療のため、東京・代々木へ居を移す
腎臓疾患のため36歳で死去