日本画

小茂田 青樹

Seijyu Omoda

1891年 − 1933年
17歳で上京し松本楓湖の安雅堂画塾に入る。同日に入塾した速水御舟とは終生のライバル関係となる。院展に初入選した1915年頃から結核を患うようになり病魔との闘いを余儀なくされた。写実性と装飾性の融合にこだわって描き続けた。

代表作
『出雲江角港』1921/東京国立近代美術館
『虫魚画巻』1931/東京国立近代美術館

略歴

History

1891 埼玉県に生まれる
1908 上京し、松本楓湖の安雅堂画塾に入る
1913 巽画会展出品作を原富太郎に買い上げられ、以降支援を受ける 京都南禅寺で仮寓、古典を研究
1914 今村紫紅が主宰する赤曜会に参加。号を「青樹」とする
1915 院展初入選
1921 日本美術院同人となる
1925 杉立社を設立。後進の指導にあたる
1929 帝国美術学校教授に就任
1933 咽頭結核の悪化のため41歳で死去