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  • 小林 古径 先生

    一本の線を引くために息を殺し、その対象に挑む。

    小林古径の線描は、美しく淀みのない清らかさを放つ。

    1883年、古径は新潟に生まれる。4歳で母親を10歳で父親を亡くす不遇な幼少期を過ごした。

    真面目で寡黙であったという古径の性格は、そういった幼少期の体験と、新潟という雪の厳しい環境で育った事から来るものであろう。

    1900年には画家を志し上京。梶田半古という良き師に巡り会い、写生を重んじ品位ある画風を志すよう教えを受けた。入門一年目にして頭角を表わし、古径という雅号を授かった。

    半古塾が閉鎖されると、安田靫彦の勧めで当時の新進気鋭の日本画家が集っていた紅児会の仲間に入る。原三渓の庇護の元、仲間たちと切磋琢磨し腕を磨き半古風の画風から抜け出していった。1921年には院展に初出品。翌年には前田青邨と共に、日本美術院の留学生として渡欧。大英博物館で中国の初唐に描かれた「女史箴図巻」を模写し、東洋の古画に象徴される拡張高い線描に触れたことに多大な影響を受けた。古径は、西洋画の写実から東洋画の写実に自身の求めたる所を見出し、古画と写実を融合させた新古典主義と言われる作風へと変容していった。

     1930年以降は、大観・観山の後を担い、靫彦・青邨と共に日本美術院の大きな柱となって、3人は敬愛を込めて院展三羽烏と呼ばれた。

    戦後は芸大で教授を務め、1950年には文化勲章を受章。晩年はパーキンソン病を患い、古径の代名詞と言われる線描が描けず苦しむようになる。

    靫彦・青邨よりも早く、享年74歳でこの世を去った。

    2019.05.15(水)