富岡 鉄斎Tessai Tomioka

画歴

天保7年(1837) 京都に生まれる。 初めの名は猷輔、のちに百錬と改名。
  号は初めは裕軒、のちに鉄崖、鉄斎、鉄道人など。
  耳が少し不自由であったが15歳頃から国学、漢学を学ぶ。
安政3年(1856)  久保田雪鷹に絵の手ほどきを受け、南画を小田海僊に、大和絵を浮田一蕙に学んだ。 
  幕末には勤皇学者として国事に奔走し、維新後の30歳から40代半ばまで大和石上神宮や和泉鳳神社の神官を務めた。
明治2年(1869) 私塾立命館で教員になる。 
明治23年(1890) 京都美術協会委員
明治24年(1891) 京都市立日本青年絵画共進会顧問
明治29年(1896) 田能村直入・谷口藹山らと日本南画協会を発足させ南画の発展にも寄与しようとした。
大正6年(1917) 帝室技芸員
大正8年(1919) 帝国美術院会員
大正13年(1924)  89歳で死去。