作品紹介

セザンヌへの敬慕

安井曽太郎は1888年に京都に生まれる。幼い頃に妹が京扇子の家に養女に行き、出入りを多くする中で扇子が彩られていく様に見せられ、絵を描くことに目覚めて行った。

京都には浅井忠が指導する聖護院洋画研究所があり、そこで梅原龍三郎と共に研鑽を積んだ。しかし、日本人画家の渡欧が増えると、安井も近代美術の本拠でもあるフランスに憧れを抱き、1907年19歳の時、大阪港からパリへ旅立った。

パリに着いた安井は、アカデミージュリアンに入学し、ジャンポール・ローランスに師事する。彼の画才は開花し、学校のコンクールで1等を取るなど活躍を見せるも、次第に安井は学校での教程に束縛を感じるようになり、学校を退学。アトリエを設けて、自主研究をするようになった。そんな安井にセザンヌの絵画との出会いが訪れる。「自然はセザンヌの絵の連続で、それだけ忠実に写実せられたのに驚き関心した」と言葉を残している。セザンヌとの出会いは安井の画業に大きな影響をもたらし続けることとなる。1914年に入った頃から安井は肺を煩い、第一次世界大戦の影響下もあり、7年ぶりに京都へ戻った。フランスであらゆるものを吸収し、成果として持ち帰った安井はその後、藤島武二や佐伯祐三らをも苦しめた、日本の湿潤な風土での油彩の表現方法に大いに苦しむことになり、中年期にようやく安井様式と言われる自身の作風を確立した。

安井曽太郎は1955年67歳の生涯を湯河原の自宅で閉じる。誠実な人柄と、これからの活躍に対する大きな期待から、美術界だけでなく広い世界にとっても彼の死は大変な喪失であったという。

本作はまさに晩年の湯河原風景のスケッチである。安井特有の線のうねりや色彩感覚の礎を見て取ることができる。

安井は「湯河原の新畫室からは、僕の好きな山がすこしばかり見える。その山の形は、ブリジストン美術館にあるセザンヌのサント・ビクトワール山に一寸似ている。仲々いい山である」と残している。敬愛したセザンヌに重なった晩年。描くことに苦しんだ時代を経てこそ、本作は自由闊達で、自然体の安井の筆致を感じることができる貴重なスケッチである。

(た)

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安井曾太郎先生

『湯河原風景』

20.0×30.0cm

紙・水彩・鉛筆

 

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