作品紹介

清らかな美女の微笑み

藤田嗣治「少女」

1913年23歳の藤田嗣治は3年間という期限付きで渡仏を果たした。本場のフランスで西洋絵画を学ぶことが目的であったが、モディリアーニやスーチンらと知り合い、ルーヴル美術館などでギリシャ美術に見聞を広めた。そして、1921年のサロン・ドートンヌにおいて発表した3作品が会場で大変な人気を呼び、藤田が表現した乳白色の輝く美しい肌の裸婦は大変な話題となる。藤田の表現したその色は「素晴らしき乳白色」と呼ばれ、一躍エコールド・パリの寵児となった。

1931年、藤田はブラジルに向かい中南米の旅行をし、日本へ帰国する。ブラジル、メキシコの風俗に大いに感化され、これまでに描いていた描線による作品は少なくなっていく。

1933年日本に戻った藤田は、中国や沖縄などにも精力的に周り作品を制作。そして時代は第二次世界大戦に入り従軍画家として戦地を巡ることになる。

しかし、日本は敗戦国となり、その戦争協力への責任を画家にも負わすという時勢が藤田を大いに苦しめた。

早くパリへ戻りたい。その一心であったのであろう。 1949年、藤田はアメリカからパリへ戻り、翌年に個展を開催。藤田はパリ画壇へ華々しく復帰した。

そして1955年日本国籍を棄て、フランス国籍を取得。藤田はフランス人として生きることを選んだ。

藤田はまさに近代日本のうねりの中で、時代に翻弄された画家であったに違いない。東京美術学校で学んだ黒田清輝の教えに反発しフランスで自身の望む自由な世界を掴んだ。戦後、日本を離れる時も、「日本画壇は早く国際水準に到達して下さい」と言い去った。日本とフランスへの感情の相克に最も苦しんだに違いない。

本作は藤田がフランス国籍を取得した1955年の作品と思われる。

日本を脱し、世界を周り見聞を広め、自身の描きたいものをパリという土地で実現して行った藤田。晩年のもっとも穏やかな心境で臨んだ作品であろう。

女性の優しい眼差しが印象的で、藤田自身の心の安穏を物語っているように思う。

(た)

 

*作品の価格・詳細はお問い合わせください

————————————————————————-

藤田嗣治先生

『少女』

27.0×22.2cm (3号)

キャンバス・油彩 1955年作

展覧会歴:「夢見るフランス絵画展」(兵庫県立美術館他巡回、2014~2015)出品作

※当ホームページに掲載されている作品画像の二次使用や転用は固くお断りいたします。