作品紹介

公園の道(平野遼)

 

平野遼は孤高の画家である。

1927年大分県に生まれる。幼くして病で母と戦争で兄弟を亡くした平野は孤独の中で幼少期を過ごした。そんな少年の唯一の救いが絵を描くことであった。絵に対する意志の強さは誰よりも強く、13歳で兵役についても、その隙を見ては絵を描きに抜け出し憲兵に捕まることもあったという。

戦後は、お金を稼ぐために米軍基地でポスター描きの仕事につく。また、アメリカ兵や町の人の似顔絵描きなども行っていた。平野の速描きと、観察することで培った類い稀な描写力はこの経験が大きいと思われる。

平野遼は独学で油絵を習得している。絵描きとして身を立てるために、貯めたお金で上京を果たすも画材どころか食べ物にもありつけず、極貧生活を送った。無茶な生活がたたり体を壊したこともある。いわば絶望の淵にその身を置いていた。

透徹した平野の目に映る世の中は、近代文明によって侵されていき、誰よりも危機感を抱くようになっていくと同時に、平野は外部との付き合いを遮断するように、自分だけの深い思索の世界に入り込んでいく。

平野遼は抽象と具象の両方の作品を残している。暗く重い、どこかに恐怖を孕んだ抽象画は、危機にさらされていることに気づかない平穏な世の中への警鐘でもあり、人間の実存社会の表現であった。

具象画はその反面、そうした目に見えない精神世界の表現とは変わり、実在する風景や人々の生活の営み、親子などを描いた。平野はボードレールやランボーに傾倒し、セザンヌやジャコメッティにも多大な影響を受けていた。特にジャコメッティの線の描写は特別に尊敬していた。

「私にはブルジョワ層に受ける裸体は描けません。かつて原始人が体験した生命力にあふれる生活を、文学的表現でなく、線と面と色で表してみたい。それをやり遂げたのはゴーギャンであり、ジャコメッティだと思うんです」と言っている。

本作の「公園への道」は平野の言う、軽快な筆さばきで描かれた線がよく見て取れる。海外の公園であろうか。奥に進む馬の列に、手前には赤い服をきた人物が騎乗しているように見れる。その姿が愛らしい。少し褐色がかった控えめで深い色使いも平野特有の調子であり、美しさがある。

平野の具象画は、自身の中にある孤独が作りだした抽象画とは違い、静寂の中に慈しみがある。平野の絵には人を惹きつける引力がある。その力の根元には、平野の孤高の裏にある慈愛が隠されているのだろう。

 

(た)

*アートフェア東京2018に出品します

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平野 遼

『公園の道』

27.5×22.2cm (3号)

キャンバス・油彩